Google+1、いいね、はてなスター、はてブの比較。ついでにソーシャル時代への警鐘

Facebookの「いいね(Like)」ボタンに対抗するサービスとして、米Googleで試験的に「+1」ボタンが導入されたことが一部で話題になっています。

どんな風に使えるサービスなのか、についてはLifehacking.jpさんの記事がとても分かりやすいです。

・Google +1 であなたはウェブをキュレーションしてゆく - Lifehacking.jp

Facebookにはイマイチ乗り切れていないのですが、いい機会なのでこうしたウェブ上でサイトを評価するシステムについてまとめてみました。
せっかくはてなでブログを書いてるので、ついでに「はてなスター」と(ちょっと種類が違うけど)「はてなブックマーク」についてもまとめてみます。

いいね(Like) Google +1 はてなスター はてブ
ユーザー 実名中心 実名も匿名も 匿名中心 匿名中心
コメント機能 あり なし なし(本文引用は可) あり
メッセージ対象 知り合い 知り合い サイト管理人 不特定orはてブユーザー
表示場所 記事内 検索画面 記事内 通常は記事内
価格 無料 無料 一部有料 無料
影響 他人 自分&他人&検索エンジン(?) 他人 他人

「ガンガンソーシャルしようぜ!」な人間ではないので、もしまとめた内容が間違っていたらすみません。でも自分のなかではこう捉えています。

  • よくわからんとツッコまれそうなとこだけ補足します。
    • コメント機能:記事内容に対して文章でコメントができるか。
    • メッセージ対象:評価を伝えたい主な相手
    • はてブの表示場所「通常は記事内」:ブラウザ拡張使えば検索画面表示も可
    • はてなスターの価格:有料スターもあるので
    • 影響:評価を行うことで誰に影響を与えれるか

「影響」の項目の「自分&他人&検索エンジン(?)」についてさらに補足しておくと、Googleの+1はコミュニティのなかで作用するだけでなく、検索エンジンの順位決定にダイレクトに影響する可能性があります。

これは第一には、Lifehacking.jpさんの記事でも書かれていますが、自分自身の検索結果に影響が出るパーソナライズド検索においてです。

それから第二に、他人が閲覧する検索結果ページのアルゴリズムそのものにも影響を及ぼす可能性があります。こちらについては、Google Adwords Labさんの記事でも少し触れられています。

・Google 『+1』 ボタンのリリース (アドワーズ広告にも影響アリ) - Google Adwords Lab


プラス評価の群れという悪夢

Google+1普及の可能性

さて上記のようにまとめてみたわけですが、結局「Google+1」ボタンが普及するのか、と問われれば、正直分からないと言わざるを得ません。しかし、(どこぞのお役人のように卑怯な言い方ではありますが)普及する可能性は大いにあると個人的には考えています。

なぜかというと、やはりLifehacking.jpさんの記事にありますが、「Google+1」の最大の特長は、ボタンの表示場所が記事内ではなく、Googleの検索結果であることです。

これはつまり「コンテンツの中身を表示する前に、事前にそのコンテンツ価値をユーザーに教える」ということです。
そしてこの情報過多の時代において、こうした情報のキュレーション化は大いに好まれます。なんでもかんでも読む暇はないから重要なものだけ読みたい、というわけです。

たとえばFirefoxGoogleChromeには、Googleの検索結果やGoogleReaderに、はてブが付いた数を示すGreasemonkeyや拡張があり、人気を博しています。最近では、いいねが押された数を表示する、というのもあるようです。これらはすべて、素早く高価値の情報だけを集めたい、という欲求の現れです。

そうした時代の方向性から言えば「ブラウザの機能拡張など不要で」「万人に対して」「検索結果という情報を最初に求める画面で」「いち早く情報の価値を伝える」というサービスは、喜んで迎えられる可能性が高いです。

お前のことは大好きだ!でも俺が好きなものをお前が決めるな!

しかし仮に普及するとしても、この「Google+1」がウェブの未来を良くするという意見には声を大にして異を唱えたいと思います。

なぜかというと、当たり前のことではありますが、コンテンツの価値というのはそれを受け取る人にとってまったく違うからです。

クラシック音楽が好きな人もいればロック音楽が好きな人もいる。それがコンテンツの違いを生むのであり、たまたま急にクラシックが持て囃されたとしても、ロックの価値が目減りするわけではないです。(芸術とコンテンツは違う、とか言われそうですが、突き詰めると同じだと思います)

自分がなにかを新しく興味を持って検索した。そのとき検索画面に現れるウェブサイトは、それぞれが自分に新しい価値を提供してくれる可能性を秘めており、そしてどれが自分にとって素晴らしいものであるかは、自分自身が決めたいです。(少なくとも、私はそうです)

それなのに、未知の情報の宝庫である検索結果にまで、一般大衆目線、あるいは自分の知り合い目線というものがしゃしゃり出てきて、これは良い、これは大したことない、と値踏みされることほど嫌なことはありません。

見出しにも書きましたが「お前のことは大好きだ!」と言えるユーザーはたくさんいてもいいのですが、「でも俺が好きなものをお前が決めるな!」と言いたいです。

無論、このサービスに弊害しかないと決めつけるつもりはありません。完全なるスパムサイトやコンテンツファームを駆逐する役には立つかもしれません。

あるいは自分にとっての情報の価値を、他人に決めてもらいたいと考える人にとってはとても有益なサービスなのかもしれません。世の中にそう考える人々がいることも理解はしています。


 世のなかには(A)「『おもしろい』ものには説明は要らない、ほんとうに『おもしろい』ものはみんながわかる」と思っている人たちと、(B)「『おもしろい』のツボは、人によってまるっきり違う」と思っている人たちがいる。
あなたが文学を必要としているかどうかは、iTunesマイレートの星のつけかたでわかる。

ですが、少なくとも私は他人に自分のとっての情報の価値を決めてほしい、とは思いません。情報爆発時代にキュレーションは必要かもしれませんが、少なくとも「キュレーションされた情報がほしい」というときに任意で手に入る情報であってほしいです。


。。。とまあ、長々書いてしまいましたが。

「じゃあテメーは一人でこの機能をオフにしてクソして寝てろよ」って話ですよね。いやはやまったくそのとおり。

でも、そういう「他人に価値を決められていいのか」という問題提起を、あらためてこの時代にちょっとしてみかったのです。ソーシャルに縁遠い、インターネットのはじっこで。