目的とする行動以外の一切の選択肢を排除する

先日タスクシュートを使い出したことを書きましたが、使っているとやはり気になるところも出てきます。それに対して思うところなども出てきたので、例によってだらだらと書いてみます。

タスクシュートが効果的な場面

まずタスクシュートがとくに生きてくるのは、作業性の強いタスクに対してだと感じました。どういう意味か説明すると、たとえば収支を記録する、メールを返信する、ミーティングの予約を入れる、などの具体性のあるタスクに対してはタスクシュートは非常に効果的です。

これはタスクシュートの持つ「いまの自分を誰かに見られているという感覚を擬似的に作成できる」という特性が生かされるためだと思います。言うなれば「監視」が効果を発揮しています(なぜタスクシュートが監視の役割を持つのかは、先日の記事をご覧ください)。監視によって生まれるメリットは色々ありますが、まとめてしまうと「無為の時間を減らす」ことに尽きるように思います。

たとえば「午前中にメールを返信しようと思っていたのに、ネットを見ているうちにお昼になってしまった」という事例を考えます。そのメールがよほど自分にとって書きにくいメールであったのでないかぎり、一般的にはこれは無為に時間を使ってしまった例として個人的には捉えています。

重要なのはこれを(いまの自分は)「逃避」としては捉えていないという点です。そのタスクは逃避するほど大きな障害物ではないけれど、ついつい他のことに時間を奪われて作業が進まなかった、という事例です。こういう事例に対しては「いまからメールを書く」というタスクを明確に宣言するタスクシュートは上手く機能し、そのタスクの枠内で確実に作業を進めてくれます。

※厳密にいえばどんなタスクでも(それが自発的に取り組みたいと思えるものでないかぎり)障害物としてのハードルを備えていますが、ここではそのハードルの低いものから逃げることは本質的な逃避ではない、として捉えています。

難易度の高いタスクにどう取り組むか

ところが、たとえば「企画書を書く」という難易度の高いタスクがあったとします。この場合、なかなかそのタスクに取り掛かれずにネットを見て時間を過ごしてしまった場合、どちらかといえばこれは「逃避」の意味合いが強くなってきます。結果だけを見れば「ネットを見てしまった」というメールのときと同じ状況です。しかし、実際の原因はタスクがあまりに大きな障害物であったため、そこに取り組むことが難しく、その作業から逃げてしまったという面が大きいです。

言うなれば「どの道を通っていけばいいかは知っているのに寄り道ばかりしていて全然進めなかった」と、「そもそもどんなルートを進めばいいかも分からないので出発する気になれなかった」といった感じの違いです。

ではこうした逃避をどう解決するかですが、ライフハック的な王道でいえばタスクを分割します。そもそも企画書を書くなどというアバウトなタスクはやめて、タイトルを決めるとか、データをまとめるとか、場合によってはパワーポイントの空ファイルだけまず作成する、というところまで細分化する方法です。

がしかし、個人的には細分化したところで「気が向かない」という障害を乗り越えるのは簡単ではありません。もちろん、ときには始めてしまえば楽しく順調に進む場合もあります。しかし、そもそも企画の内容から考えなければならない場合など、白紙を前にして思考が停止してしまい、いつのまにか逃避行動に走っていたというときもあります。

これをなんとか解決できないかは昔から悩んでおり、「とにかく一文字ずつでいいから進める」とか「上手くいったときと似た環境を再現する」とか色々やっていたのですが、これというものが見つかりませんでした。

目的とする行動のみを取れる状況に身を置く

けれど先日、LifeHackerのブログであるインタビュー記事を読みました。

仕事のやり方に関しては、次のようなルールを基本としています。

私は、非常に長時間デスクに座って仕事をします。仕事が楽しい、楽しくないかは関係ありません。長時間デスクに座っていれば、自ずと仕事は回り始めます。デスクに座って退屈になれば、本当にやらなければならない仕事に向き合うようになります。

・仕事に没頭することで世界を変えたい:『習慣の力』の著者チャールズ・デュヒッグの仕事哲学

この一節が奇妙に頭に残りました。当たり前のことを言っているといえばそれまでですが、なんだか真実を突いているという感覚が強くありました。

これは言い換えてしまうと、ようするに「制限」の力を使え、ということです。よくある例でいえば、ダイエットするならお菓子を家に置いておくな、というのと似ています。自分が取れる行動を制限していくことで、目的以外の行動をとれないようにする、という手法です。

ただこのインタビューが印象的だったのは、自分の行動選択肢から余分なものを削っていくのではなく、「目的とする行動以外の一切の選択肢を排除する」という思考法をとっているところです。ダイエットの例でいえば、(極端なたとえですが)外界と隔絶された場所で必要最低限の食料だけ持って過ごす、というようなものです。

そしてこれはやってみると分かったのですが、想像以上に「気が進まなかったことに取り組む」ために効果があります。たとえばA4のコピー用紙とボールペンだけを持って、スマートフォンもなにも持たずに机の前に座ってみます。もちろんパソコンの電源はオフにし、本などもすべて本棚に詰め込んで手に取れないようにしておきます。自室で難しければ、カフェなどに行ってもいいと思います。

すると最初は手持ちぶさたになります。他にすることがなにもなく、ぼーっとしてしまいます。しかしそこから逃避行動をとれるものがなにもないため、結局はボールペンを手に取ってコピー用紙に向かうことになります。もちろんすぐに良いアイデアが浮かぶとはかぎりませんが、それでも適当になにか書きつけているうちに発想が広がり、少なくともなにかしら進んでいくのが実感できます。

もちろん100%成功するとはかぎらず、もしかすると意味不明のポエムを紙に書きつけてしまうことも考えられますが、しかし(よほど詩才があるのでもないかぎり)そうした行動もいずれ終わって当初の目的に向かう可能性が高いです。

このインタビューを読んで思い出したのですが、村上春樹氏も小説を書くときにはとにかく机の前に座り続けることを自分に課していました。アイデアが出ようが出まいが、書けようが書けまいが、とにかく決まった時間は机の前に座り、他のことはなにもしない、と決めていました(だいぶ昔に読んだエッセイだったので、いまも同じスタイルなのかは分かりませんが)。

ちなみにこのブログ記事は、あえてLANケーブルを引っこ抜き、ネット閲覧へと逃避しないように環境を制限して書いてみました。思考した流れをそのまま書いたので冗長にはなりましたが、とにもかくにも集中して一気に書けたので、やはりこの方法には効果があると感じています。